天台宗の関東総本山として創建当時は江戸城の鎮護を目的とした祈願所となった寛永寺。
後に徳川将軍家の菩薩寺となり、現在全国各地から参拝客が訪れる大人気のパワースポットとなっています。
そんな寛永寺の宗派や輪王殿とは?これらについて詳しくご紹介致します。
寛永寺の輪王殿(りんのうでん)はどんな施設?アクセスマップ
旧本坊表門を正門とする輪王殿。
多目的な会館として建築され、使用目的に合わせて2つの会場を備えた施設です。
JR線上野駅「公園口」から徒歩8分、JR線鶯谷駅「南口」から徒歩8分と大変アクセスの良い場所に位置し、付近には「東京国立博物館」や「国立科学博物館」「国立西洋美術館」などがあり、優れた式場として多くの方に利用されています。
輪王殿の正門 旧本坊表門は東京国立博物館の敷地から移動されました。切妻造りの本瓦葺、潜門付きの薬医門で 通称「黒門」と呼ばれています。
関東大震災後に移築されたものですが、門扉には上野戦争の際に出来た弾痕が。歴史の流れを感じさせる旧本坊表門は重要文化財に指定されています。
そんな旧本坊表門を正門とする輪王殿は第一会場・第二会場で成り立っていますが、2つの会場にはどの様な違いがあるのか詳しく見ていきましょう。
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寛永寺輪王殿の第一会場の用途!
寛永寺 輪王殿の第一会場の基本座席数は200席。
開放感あふれるエントランスホールで、和洋室の親族控室などが用意されています。
都内でも最大規模の広さを誇る第一会場はテントを設営する事で数百名クラスの葬儀を行う事が可能。
著名人の方の葬儀が行われる事が多いですが、もちろん一般の方でもご利用頂けます。
第一会場を利用された口コミを見てみると
- 伝統と格式ある式場で沢山の弔問客を受け入れる事が出来ました。
これ以上ない程の立派な葬儀に大変満足しています。 - 上野駅からのアクセスも良く最高の立地でした。
葬儀場の広さや設備、更に管理が素晴らしく気持ち良く利用出来ました。 - 数百人規模の参列者でしたが滞りなく式が進みました。
お浄めの会場が第二会場だったので少し手狭だったかもしれませんが、参列者の方々を順に入れ替えるなど対応に満足です。
利用された方々は皆さん満足されている様ですね。
寛永寺は徳川家の菩薩寺として知られていますが、歴史あるお寺だからこそ納得がいく葬儀が出来るのかもしれません。
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寛永寺輪王殿の第二会場の特徴は?
輪王殿第一会場と比べてこじんまりとしたつくりになっているのが第二会場。
こちらは基本座席数80席ですが参列者に合わせて式場を狭める事が出来るので、親族のみの葬儀をされる方に利用されています。
第二会場は2階が控室になっていますが、昇降機が備え付けられているので車椅子の方でも安心してご利用頂けます。
近年家族葬が増えていますよね。身内だけで故人を送りたいという方に選ばれる式場です。
第二会場を利用された方の口コミを見てみると:
- 他の式もなく参列者も少ないので閑散とした感じになる事を懸念していましたが、会場の雰囲気がとっても良くアットホームな式になりました。
- 故人が高齢者で参列者は少なくこじんまりとした式になりました。でもその分遺族にとっては故人をゆっくり偲ぶ事が出来たので満足です。
- 会場は大きな道路に面していない為車を利用される方は少しわかりにくいかもしれませんが、とっても静かな会場なので落ち着いて送る事が出来ました。
- 最寄駅から徒歩10分以内なので、高齢の参列者がタクシーで来る事を考えても問題のない立地です。
- 施設内はしっかり手入れが行き届いており、清潔感があって気持ち良く利用出来ました。中々斎場が見つかりませんでしたが運良くこちらでお世話になれた事は本当に有難かったです。
こちらもみなさん大変満足されている様ですね。立地の良さが最大の魅力と言えそうです。
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寛永寺上野の天台宗派はどのような経緯を経て開創したの?
寛永寺は天台宗のお寺ですが、宗派の違いなど慣れ親しんでいない方にとっては少し難しく感じてしまいますよね。
天台宗は伝教大師最澄上人(さいちょうしょうにん)によって開創され、延暦25年(806)に朝廷に公認されました。
- 伝教大師は近江国(現在の滋賀県)に生まれ、近江国寺で修行。
- さらに当時の都「平城京(奈良)」で修行に励みましたが、奈良仏教の探求に加えて、故郷の比叡山にこもり12年間一人修行を続けました。
- その後都を「平安京(京都)」に移した桓武天皇の期待に応えるため中国へ渡り、天台山で正式に天台法門、さらに密教・禅法・戒律を伝承して帰国。
これらの法門を総合して天台宗を開創しました。
そして天台宗は日本における仏教宗派の原点ともなっています。天台宗の教えは法華経を経典とし、“誰もが平等に仏になる事が出来る”というもの。
天台宗の葬儀の特徴!
宗派を身近に感じるものとして葬儀があげられますよね。天台宗の葬儀は一体どの様なものなのでしょうか。
まず天台宗のお通夜は臨終と通夜の誦経(ずきょう)、そして剃度式が行われます。臨終誦経では故人の枕元で阿弥陀経が読まれ、極楽へ導かれる事を祈願。
通夜誦経では朝と夕方で違いがあり朝には法華三昧、夕方には阿弥陀経が読まれます。
- 剃度式では水やお香を使用して故人の身体を清め、仏の元へと出家する為髪の毛に剃刀を当てる事が習わしですが、現在は剃髪する事はほとんどありません。
- その後導師が辞親偈・懺悔文・授三帰三竟を唱え、最後に戒名が与えられます。
- そして葬儀は導師による「列讃」から始まり、穏やかな旋律が流れる中故人が成仏して阿弥陀如来に迎えられ仏になる事を祈ります。
- 列讃の後は故人の棺が閉ざされ、棺を送る準備が行われます。
- 次に霊前に茶器を備える儀式、導師が引導を渡し松明やお線香で空中に梵字を描く「下炬」、その後読経が行われ最後に回向文が唱えられて終了です。
私は天台宗のお通夜や葬儀に出席した事はありませんが、一連の流れをご覧頂いて思い当たる式に出席されたという方がいらっしゃるかもしれません。
また天台宗では一般的な丸い玉の数珠は使用しないで、平珠と呼ばれる楕円の形をした玉の数珠が使用される為、数珠に注目して頂くと天台宗なのかその他の宗派なのかが簡単にわかります。
多くの方が日頃宗教に触れる機会が無いと思いますが、お寺や神社へ参拝した際に少しづつ勉強してみるのも良いかもしれませんね。
寛永寺のその他の詳細は以下の記事もご覧くださいね↓
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